東京地方裁判所 昭和22年(ワ)2591号・昭22年(ワ)2726号 判決
原告(併合被告) 平野マサノ (併合被告) 水島來造
被告(併合原告) 安藤顯信
一、主 文
原告平野マサノの請求を棄却する。
併合被告平野マサノ同水島來造は各自併合原告安藤顕信にたいし東京都台東区御徒町三丁目二番地所在木造ルーヒング葺平家建店舗一棟中店舗部分四坪をのぞく他の部分全部の明渡をすること。
昭和二十二年(ワ)第二七二六号事件の訴訟費用は原告平野マサノの負担とし、同年(ワ)第二五九一号事件の訴訟費用は併合被告平野マサノ同水島來造の連帶負担とする。
二、事 実
昭和二十二年(ワ)第二七二六号事件の当事者の主張
原告平野マサノ(以下平野と略称する)は「平野が主文第二項掲記の建物の所有者であり且つその建物における営業権者であることを確定する」「被告安藤顕信(以下安藤と略称する)は平野にたいし右建物の店舗部分四坪の明渡をせよ」との判決および明渡の部分について仮執行の宣言をもとめ、請求の原因として「平野は昭和二十二年二月十四日訴外長谷川君子より本件建物および本件建物における再生ゴム製品販賣の営業権を買受けると同時に之の占有移轉をうけ、内縁の夫水島來造(併合被告)(以下水島と略称する)と共にここに居住して右営業を営んでいたところが、同年十月にいたつて安藤は本件建物にたいする所有権を主張して、平野に立退を要求した外ここで再生ゴム製品を販賣する意図の下に之の店舗部分(四坪)に暴力を以つて侵入し、更にこの店舗部分につき安藤が占有使用することを平野および水島が妨害したり又はこの部分に立入つたりしてはならない旨の東京地方裁判所(ヨ)第一八一六号仮処分決定を得、現に之を占有している。よつて平野は本件建物の所有権およびそこにおける営業権を有することの確定並びに、右店舗部分については、第一次的に所有権予備的に占有権にもとづきその明渡をもとめる」と陳述し、安藤は請求棄却の判決をもとめ後記併合事件の請求の原因と同趣旨の陳述をした。
昭和二十二年(ワ)第二五九一号事件の当事者の主張
安藤は主文第二項同旨および訴訟費用は平野、水島の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言をもとめ、請求の原因として「本件建物は安藤の所有に属するところ昭和二十二年二月十五日平野にたいし(イ)一時使用のため、即ち安藤よりの要求があれば直ちに明渡すこと(ロ)建物に附随する営業権その他何等の権利も平野にはあたえないこと(ハ)平野以外の何人も居住しないこと(ニ)賃料は無料とすること」の條件を附して貸與した。賃料を無料とした趣旨は本件建物は元來安藤が再生ゴム製品を販賣するために買求めた店舗であるから、平野には裏側座敷の部分を主として使用せしめ將來安藤の必要が生じたときは何時でも平野の都合の好惡をとわず明渡させるためであつた。昭和二十二年九月頃になつて安藤は事業を拡張して株式会社組織にする計画をたてそのため本件建物の座敷の部分を事務室兼應接室に改造して使用する必要が生じ且つ本件建物に女子供が居住していては業務に支障を生じるのでその明渡をもとめるため同月二十七日之を予告し、同年十月十日解約を平野に通告したので、同日平野は之を明渡す義務が生じた。水島は平野の内縁の夫で前記契約の立会人としてその内容を知悉しているのに、無権限で本件建物に侵入し不法に占有している。よつて安藤は平野および水島にたいし本件建物中後に占有を回復した店舗部分(四坪)を除く他の部分七坪の明渡をもとめる」と陳述し平野水島は請求棄却の判決をもとめ前記昭和二十二年(ワ)第二七二六号事件の平野の主張と同旨の陳述をした。
<立証省略>
三、理 由
一、成立に爭のない乙第八号証第九号証の一および三証人番場弘、島田義雄、飛田清司の各証言を綜合すると「本件建物はもと番場弘の所有に属し、同人は之を昭和二十一年二月二十八日頃飛田清司に二万三千円で賣渡しそのうち一万円の支拂をうけたこと」「新円切換のため飛田の現金が不足していたのと本件建物の敷地の借地権の問題が解決しなかつたため、残額の支拂は同年末迄猶予されていたこと」「同年十一月および十二月に三回にわたり残額のうち六千円が支拂われたこと」が認定され証人島田義雄が証言する「飛田が残額を支拂わないために島田が番場の代理人として前記賣買契約を解除した」との事実は飛田の履行遅滞、島田の代理権、契約解除の意思表示の飛田への到達のいづれもが十分立証されていないから、飛田は有効に本件建物の所有権を取得していたものと認められる。從つて乙第一号証(建物登記簿謄本)の本件建物が番場より直接安藤に讓渡された旨の記載は眞実とは認め難く、乙第三号証もこの認定を左右しない。
二、成立に爭のない甲第八号証、乙第十一、第十二号証と証人飛田清司の証言とを綜合すると、飛田は本件建物で再生ゴム製品の販賣業を営んでいたが、金融をうける都合から昭和二十二年一月二十四日之を訴外長谷川君子に買戻権つきで金五万円で讓渡し長谷川はこれの引渡をうけて右営業を継続していたことが認定できる。
三、成立に爭のない甲第三、第八、第九号証、乙第十一、第十二号証、証人由里完二郎の証言によつて成立を認めうる甲第四号証および証人飛田清司、由里完二郎、水島來造の各証言並びに平野、安藤各本人訊問の結果を綜合すれば次の事実が認定できる。平野はもと飛田の妻であつたが、昭和十八年四月に離婚し、そのとき飛田は当時の住居であつた台東区北稻荷町六番地の家屋の居住権を平野が保有することを認めた。ところが終戰後平野が疎開先から上京すると、飛田が勝手にこの家を他人に権利金をとつて貸していて平野はこれにはいれなかつたので、平野飛田間に紛爭を生じ、飛田はその解決に苦慮し前に長谷川に讓渡した本件建物を買戻して平野に提供しようと思つたが金策がつかないでいた。ところで安藤は戰時中刑務所の未決監で飛田と知り合い、出所後は本件建物で飛田が営業していた興亞物産商会の営業主任をやつていたが当時は独立して台東区車坂町で再生ゴム製品の販賣をはじめていたので飛田は安藤に金策を依頼した。然し安藤は、飛田がきわめて出鱈目な男だということを知つていたので、金融は断つたが、本件建物が電車通りに面した有利な位置にあつてここで再生ゴム製品の販賣をすれば採算がとれることを知つていたし、平野が気の毒だとも思つたので、これを比較的廉く手に入れることができれば、買入れて平野を居住させ、ここで自分の店の商品で営業させてもいいと思いその旨回答した。一方平野は飛田から安藤の意向をきいて飛田のはなしでは大へんいい條件のようだつたので、知人である由里完二郎とも相談し熟考の末本件建物に移轉して営業する決心をし昭和二十二年二月十四日由里、飛田と共に長谷川と本件建物買戻の條件について折衝したところ買戻代金五万円の外商品代金その他二万七千円を要求された。そこで同日夜右三名は安藤を訪れ、長谷川よりの買戻代金として八万円をあづかり、長谷川の家にいつて七万七千円を支拂い番場より飛田への本件建物の賣渡証書(乙第八号証)と飛田より長谷川への同じく賣渡証書(乙第十一号証)を受取り、同時に右買戻代金五万円の受領証(乙第十二号証)の交付もうけ再び安藤のもとにいつて右預り金の残額三千円と右証書三通を安藤に手交した。
右安藤の出資の趣旨が平野にたいする金融であるかそれとも安藤が飛田の買戻権を讓受けて本件建物を買受けたものであるかについて爭があるが平野が主張するようにそれが金融であるとすれば「その金員の返済期限も利息も定められていないこと」および「借用証が差入れられていないこと」は当事者間に明らかに爭のない事実であるのに安藤がこのような好意ある條件で金融してくれることを首肯させるだけの特別の事情を立証する証拠が全くないし前に認定したように「平野等が安藤より八万円をあづかつて長谷川方にゆき必要な七万七千円を支拂つたのち、残額三千円をわざわざ安藤に返還したこと」も安藤の出資が單なる金融ではなく本件建物の買受代金を平野等に託して余分の金円の返還をうけたものと考えられるし、殊に前記のように「本件建物の番場より飛田へのおよび飛田より長谷川への夫々の賣渡証書並びに五万円の代金領收証を右三千円と共に平野等より安藤に手交している事実」及び平野、水島が喜んで差入れたものでないにしても安藤の求めに應じて本件家屋の貸借契約書(成立に爭のない乙第四号証)に署名捺印して安藤に交付している事実から推論すれば、前記安藤の出資が平野にたいする金融であると解するのは困難であり、事実の眞相は寧ろ本件建物の買戻権を飛田が持つていたため長谷川が直接安藤に讓渡したくない事情があつたために、安藤は本件買戻の表面にたたず、長谷川より飛田が買戻しこれを更に平野が買受けたかたちにしたまでのことであつて実質上の買主は安藤であると解すべきである。
この認定は、平野の主張と全く反するものであるがその主張に添う平野援用の飛田、由里、水島の各証言と平野本人訊問の結果を以てしても右認定を覆すだけの心証をえられないし、平野が本件建物の営業権を飛田より二万円で讓受けた証拠として提出された甲第一号証および平野が長谷川に商品残代金並びに店員退職手当を由里より借金して支拂つた証拠として提出された甲第二号証はかりにその成立をみとめうるとしてもこれらを作成した当事者も名宛人も平野側のものであるから立証事項を証明するのに十分とはいいがたい。のみならず安藤は本件家屋及び商品買取の資金をほとんど全部負担した上縁故のない平野に自己の商品まで賣らせて生活の途を講じさせてやろうというのであるから、平野がいうように右二口の金は平野が出せといつたとしてもさして不自然ともいえないから、この事実があつても前段認定と矛盾するものとは考えられない。又平野が約二ケ月後に安藤に金三万七千円を交付したことは安藤本人も認めているが、前記各証拠や前後の事情から推せばこの金はむしろ安藤本人がいうように、長谷川から買つた商品の賣上金を別計算として受取つたものと考えられるから右金員授受の事実も安藤が買主であることの認定を左右するものではない。(尚乙第十号証はその成立にも疑があるし、眞正に成立しているものとしても飛田の証言および安藤本人訊問の結果によるとその記載は本件建物に関する紛爭が生じたのちに、飛田が安藤によつて半ば脅迫的に作成せしめられたものと認められるから前段の認定をするに至つた資料にはなつていないことを附言する。)
要するに本件建物は安藤が買受けたものと認められ、これを買受けた理由は前に認定したとおりであるが、安藤が考えていたとおり平野も考えていたかどうかは多少疑がある。殊に前に認定したように平野は自分がもつている前記北稻荷町の家の居住権を飛田に提供する代償として本件建物に居住し営業するつもりだつたから、少くともこの居住権と営業権は相当しつかりしたものであるとは思つていたのであろう。けれども平野は本件建物の買主が安藤であることの認定に引用した前掲の諸事実を当事者として全部知悉していたことも平野本人訊問の結果によつて明らかであるからこれらの所有権を取得しえないことは十分認識していたものと判断するのが相当である。
尚成立に爭のない甲第九号証及び平野、安藤各本人訊問の結果によつて認めうる「平野が昭和二十二年九月頃本件建物より他に移轉することを考えて安藤と折衝したこと」成立に爭のない甲第十号証によつて認めうる「平野がその頃台東区車坂町に一室をかりて一時洋裁業をやつていたこと」からも平野自身本件建物の所有権を取得した確信も、長く本件建物で営業をつづける意思もなかつたことが推測される。
又平野が本件家屋に移つた翌日関係者一同が集まつて祝宴を催したことは証人飛田清司の証言によつて認められるが同人の云うところによれば右は同人と平野との問題が解決したことを主たる動機としたものであつたというから、この事実も亦前記の認定を動かすに足る事実とはいえない。
四、平野本人訊問の結果によれば平野は昭和二十二年二月十五日に本件建物にはいり直ちに再生ゴム製品の販賣をはじめたことが認められこれは安藤が本件建物の所有権を取得した直後であることは明らかである。安藤は平野の本件建物の使用権は事実に摘示されたとおりの條件を附された一種の使用貸借に基くものである旨主張し之を立証するため安藤、平野間の契約書(乙第四号証)を提出した。そしてこの書証は成立について爭がなくそれには安藤の主張する條件が記載されているから、一見右主張が立証されるとも考えられるが平野本人はその内容は同人の意思に基かずに作成された旨供述しているし又これが甚だしく平野に不利益な契約書であることも明瞭であるからより実質的に他の証拠とも綜合して本件建物にたいする平野の権利を考察することを妥当とする。尚安藤の弁論の全趣旨からすれば、平野に本件建物の店舗以外の部分のみを使用せしめることとしていた旨主張する様であるが平野の使用部分を特にそのように限定した証拠はない。
安藤が本件建物を買受け平野を之に居住営業せしめるに至つた事情の一半は平野が飛田に前記北稻荷町の家の居住権を事実上奪はれたことに同情したのにあることは前に認定したとおりで安藤は平野が右居住権を抛棄して本件建物に入るということは十分知つていたものと認められるから、安藤としては特別の事情がないかぎり本件建物を相当長期間使用せしめるつもりであつたことがうかがわれる。
次に成立に爭のない甲第九号証、乙第十五、十六号証、飛田、由里、水島の各証言、平野、安藤の各本人訊問の結果を綜合すれば、「平野は本件建物に入つてから由里、水島の手傳をうけ店員長田芳郎、山本信数を使用して、安藤の店である安藤商事から持つてきた商品をうり、賣上金は一應安藤のもとに送りとどけ、利益の半額を安藤より貰つていたこと」が認められる。そして平野が主張する「商品は安藤商事以外からも仕入れうる約束であつた事実」は之を認めうる丈の証拠がなく殊に成立に爭のない甲第九号証の記載中平野援用の証人であり概ね平野に好意をもつているとみとめられる由里が「商品は全部安藤商事からきていた」と証言した旨記載されているのでこれを眞相と認める外はない。即ち平野は本件建物を安藤商事の商品のみをうることを條件として借受け、建物使用の代償として利益の半額を安藤に支拂つていたものであつて安藤平野間の契約の内容はかかるものであると認定するのが相当である。
この契約は平野より建物居住使用の対價が支拂われていた点から單なる使用貸借ではなく賃貸借に類するがその居住権も営業と不可分であり、その営業は委任、雇傭、共同事業の契約を混合した一種特別のものと解せらるるからその方から制約をうける。從つて安藤が主張し乙第四号証に記載されてあるような安藤より一方的專断的に解除しうるものではなく又当事者の意思もそのようなものでないことは前に認定したとおりであるが、通常の賃貸借契約のように借家法によつて強力に保護されるものでもなく、当事者間の信頼関係が動搖し契約を存続し難い事情を生ずれば之を解除しうるものと解せられ、そして本件建物の居住権と営業権は一体をなすものであるからこの両者は運命を共にするものと認められる。
五、安藤は昭和二十二年九月頃にいたつて本件建物における事業を拡張し、株式会社組織にする計画をたてその必要から前記契約條項即ち安藤の必要に應じ、何時にても本件建物を明渡す旨の特約にしたがつて同年十月十日平野に解約を通告し同日本件契約は解除になつた旨主張する。前に判断したとおり、本件契約は理由の如何をとわず、安藤から一方的に解除しうるものとは解し難く解除もやむをえないことを首肯しうる丈の理由を必要とするものであつて、安藤が右に主張する理由は解除を正当ずけるのに十分ではないが、要するに解除を主張し本件建物の明渡をもとめるのであるからその立証によつて解除の主張を正当づける事実が立証されればその請求をみとめてもさしつかえない。
安藤と平野との間の契約には本件建物で販賣する商品の一切は安藤商事から仕入れる特約があつて平野が営業する店舗はいわば安藤商事の支店乃至賣店のような関係にあり、安藤もかかる店として使用する目的で本件建物を買入れ平野もこのことは承知して本件建物を使用していたことは前に認定したとおりであるから、もし平野がこの特約に違反して、他店より商品を仕入れ、安藤商事から独立して営業しはじめれば、それは安藤として全く予想していないことであり、その行爲は著しくその信頼を裏切るものである。そして昭和二十二年七月頃から平野は安藤商事以外から商品を多く仕入れる様になり、同年八月にはその比率が逆轉していることは平野自ら主張していて爭のない事実であり安藤商事以外からの仕入は、安藤にたいして公然とやつていたというよりは少くともはじめのうちは寧ろ安藤にかくれて行つていたことは成立に爭のない乙第十五号証によつてうかがわれるところである。そしてこのことは安藤、平野間の前に認定したような内容をもつ契約関係を終熄せしめるに足る丈の重大な違約行爲と断ぜざるをえない、(平野は他店よりの仕入を平野が本件建物の所有権を有して安藤より独立して営業していた事実の証拠としてあげているのであるが平野の所有権が否定せられ、安藤との契約関係が前の通り認定された以上この事実から却つて平野に不利益な判断がなされてもやむをえない。尚平野は本件建物で営業が開始してから、從來の飛田、長谷川時代の興亞物産商会の商号を「東亞商事」と改称したことからも平野が新たに独立して経営をはじめたことが証明されると主張するようであるが右改称は單に営業主が変つたことを表示し飛田、長谷川の債権者がその請求にくることを避ける目的から、平野がその使用人等と相談の上やつたことで格別深い意味はないことが平野本人訊問の結果および成立に爭のない乙第十六号証によつて認められる。)
六、安藤の解約通告が昭和二十二年十月十日平野に到達したことは平野の明らかに爭はない事実である。そして右解約通告によつて、安藤が平野に本件建物を使用せしめて、営業をなさしめる契約が解除されうることは前に判断されたことから明らかであるから平野は安藤にたいして本件建物中使用中の部分を明渡す義務があり水島は平野の内縁の夫であり本件建物に居住することは明らかに爭のない事実であつて、本件建物の使用権限も平野に從属するから、平野の本件建物の使用がみとめられない以上水島も本件建物を平野同様安藤にたいして明渡さなければならない。從つて安藤の平野、水島にたいする昭和二十二年(ワ)第二五九一号家屋明渡請求事件は全部認容せられる。但し仮執行の宣言は附すべきでないと考えて之を附さない。
平野より安藤にたいする同年(ワ)第二七二六号所有権等確認請求事件は平野が本件建物の所有権も営業権も有さないことは前に判断したとおりであり、本件建物の店舗の部分(四坪)も現在ではかえつて平野が安藤に明渡さなければならない関係にあることは右にのべたとおりであるから棄却せられる。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條第九十三條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 渡辺忠之)